ニッポン全国夢だらけ!日本一の夢の祭典「みんなの夢AWARD7」

2017/01/10

ファイナリストの今:第5回 藤岡慎二さん

教育政策アドバイザーとして、自治体や教育機関との仕事に取り組む株式会社Prima Pinguino代表の藤岡慎二さん。日本全国、辺境の地でも教育改革を進めています。若者たちが良き未来を切り拓けるよう教えながら、そして自身も、起業家として常に挑戦を続けていく人。

 東京生まれ。三才の時に三輪車で遠出してご両親を驚かせたという藤岡さん。三つ子の魂百までと言いますが、藤岡さんの冒険心やチャレンジ精神は、大人になってからも発揮されました。

「今の自分があるのは、親が良い教育を受けさせてくれたから」という藤岡さんが人生を捧げることを決めたのは、「教育」。大学時代は中高生を教える塾講師のアルバイトに熱を入れ、大学院では大学生向けの起業家育成プログラムを考案しました。卒業が近づき自身の就職と向き合う時期が来た時に、「就職よりも自分で起業しては?」という勧めをきっかけに、2006年、社会人経験ゼロ、人脈ゼロで起業。

 大学受験を控えた高校生を対象にした推薦・AO入試向けのキャリア教育プログラムをコンテンツの柱にして、エキスポに出展。その縁でベネッセコーポレーションから仕事をもらうという順調なスタートを切りました。その後、島根県海士町にある隠岐島前高校の魅力化プロジェクトに参画。プロジェクトの奮闘の結果、廃校寸前だった高校は復活しました。2015年、夢アワード5のファイナリストに。一般社団法人ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズより1000万円の出資を受け、事業は更なる展開を見せています。

教育政策アドバイザーとして活躍し、2016年に開校したソーシャルマネジメントカレッジの講師も務める藤岡さんにお話を伺いました。

(記事:教来石)

 

――夢アワード5に出られた後、社名を「GGC」から「Prima Pinguino」に変えられましたね。

藤岡さん(以下、藤岡) そうですね。夢アワードに出ていなかったら、社名を変えようと思うこともなかったと思います。「Prima Pinguino」は、イタリア語で「ファーストペンギン」という意味です。

夢アワードのプレゼンを練る中で、自身や事業ととことん向き合いました。そして自分たちの存在意義は「ファーストペンギン」であることに改めて気づいたんです。

 

――「ファーストペンギン」という言葉を、私は藤岡さんのプレゼンで初めて知りました。

藤岡 ペンギンは普段群れで暮らしていますが、エサを取るためには、海に飛び込まなければなりません。海はリスクが多いので、ペンギンたちは飛び込みません。でもそこで一匹目のペンギンが飛び込んだら、二匹目、三匹目も次々と飛び込んでいくのです。一匹目のファーストペンギンが飛び込まなければ、二匹目が飛び込むことはありません。ファーストペンギンとは、「勇気ある者」という意味なのです。

 

――世間で「地方創生」が注目される以前の2009年から、海士町の高校魅力化プロジェクトに参画されていた藤岡さんにぴったりの社名ですね。海士町でのプロジェクトに挑戦されたきっかけって何だったんでしょう?

藤岡 講演会で秋田県のとある市を訪れた時、その閑散とした様子にショックを受けました。それから自分の本業である教育を通じて、地域を元気づけることができないかと考えるようになりました。そんな矢先、高校魅力化プロジェクトのリーダーの岩本悠君から誘いを受けたんです。「キャリア教育を通じて地域活性化を担う高校生を育て、大学受験でも生徒の進路を実現し、実績を出すプログラムを実践してほしい」という依頼でした。しかも島根県の島、海士町へ移住して欲しいと。

 

――実際2010年に移住されていますが、思い切った決断ですよね。周りの方から反対されませんでしたか?

藤岡 周りからは「絶対やめた方がいい」「無茶だ」と止められました。でも僕は昔から、「無茶だ、無理だ」と言われるほど燃えるタイプなんです。学生時代、ラグビ―部に所属していました。試合で超強豪校と戦うことになって、部員全員が怯えていた時に、コーチから、「自分で限界を作るな、天井を作るな」と言われたんです。それを全員が自分に言い聞かせたら、奇跡的に勝利したのです。以来、自分の中に「無茶だ、無理だを覆したい」という価値観が生まれました。

 

――藤岡さんの爪の垢を煎じて飲みたいです。

藤岡 島は、日本の縮図のようなものです。行政もインフラも文化もすべてそろっています。そして超人口減少、超少子高齢化、財政難という、日本が数十年後に見舞われるであろう重要課題を抱えている。人、物、金もない中でこの問題を解決することができたら、ここでの挑戦や学びが日本の未来を切り拓く力になるのではと思いました。

 

――藤岡さんが高校魅力化プロジェクトに挑戦した結果、有名大学に合格する生徒さんも出てきたそうですね。

藤岡 もともと海士町というのは、50年間で人口が3分の1に減った町です。地域に一校しかない隠岐島前高校の生徒数も減り続けて、入学者数は30名程度。存続が危ぶまれている状態でした。島から高校がなくなると、中学を卒業した子は島の外へ出なくてはいけない。15歳の子を一人で外には出せないと、親も一緒に島を出る。そうして人口が減り、医療や行政サービスも減っていくという負の連鎖に陥ってしまうのです。地域を存続させる防波堤を高校が担っている。そんな中で、最初の合格者、つまりファーストペンギンが生まれた時は、海士町の役場が湧きましたね。

 

――海士町では、生徒の数が二倍に増えたと聞きます。

藤岡 「島留学」と称して、島外からも生徒を募集したんです。結果、生徒も増えて、学級も教職員も増え、部活動も増えました。超少子高齢化の地域では異例です。教育環境がいいのであればということで、子連れ家族の定住も進むようになりました。今まで大学進学に興味がなかった生徒たちも、キャリアプランと意志を持って進学に向けて勉強するようになりました。

 

――海士町成功の後、高校魅力化の動きは全国に広がりました。まさにファーストペンギンがいたから広がっていったのだなと思います。ところで、もしもセカンドペンギンの方が大きくなったら、正直嫌だなとか思ったりします?

藤岡 思わないです(笑)。最初の頃、大企業の方に教材を丸パクリされたことがあったんです。聞いてみても「真似してない」と言われて、その時は訴訟しようかと思いました。でもそのうちに、真似されるのは、僕らのやっていることに意味があるからだと思うようになりました。

ファーストペンギンとして飛び込んで、今まで存在していなかった市場を切り拓いていく。その市場を後から入ってきた方々に広げていっていただければ、日本が良くなるではないかと。市場が広がっていく間に、僕らはまた新しい市場に飛び込んでいきます。

 

――かっこいい……。藤岡さんは夢アワード5でソーシャルビジネス・ドリームパートナーズから出資を受けられましたが、事業はその後いかがでしょうか?

藤岡 創業してから一番大きいお金でしたし、初めて受ける出資だったので責任重大だなと思いましたが、出資を受けたことは正解でした。事業は安定して、自信もつきました。うまくいっているからか仕事の案件も増えて、事業は二倍規模になりましたね。

 

――素晴らしい……。ソーシャルビジネスを成功させている藤岡さんが思う、夢を叶えるのに必要なことって何でしょうか?

藤岡 たくさんありますね。いくつか挙げるなら、社会にある様々なことを自分たちに「関連づける力」。あとは何かを始めようと思った時は、まず先駆者を探すことから始めるといいと思います。せっかくそこまで頑張った人がいるのに、その足跡を追わないのはもったいない。先駆者を探して、うまくいった理由は何か、うまくいかなかった理由は何かを考えるといいと思います。協力者に夢を語ることや、自分の決断を答えにすることも大切だと思います。

 

――自分に何度も言い聞かせたいと思います。最後に、五年後って何してると思いますか?

藤岡 わからないですけど、ファーストペンギンなので、飛び込まなくなったら存在価値がないんです。僕は長男なのですが、名前が「慎二」です。「一番になるのではなく、一番に挑戦し続けろ」という母の考えで勝手につけられました(笑)。
母からは「夢を持ち、志を果たし、死ぬのは男子の本懐なり」とも教わりました。昭和の女ですね(笑)。そんな母は60歳を過ぎてから添乗員試験に合格して日本中を飛び回っています。幼少期から植え付けられた「挑戦」の価値観はなくならないので、五年後も、またどこか新しいところに飛び込んでいるんじゃないかなと思います。教育という軸はブラさずに。

 

(取材日:2016年11月27日)

 

藤岡慎二 (ふじおか・しんじ)さん
1975年生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科修了。2006年に教育コンサルティング会社、株式会社GGCを設立。キャリア教育事業、推薦・AO入試事業を中心に事業を拡大。株式会社ベネッセコーポレーションなど大手教育関連企業を協働。2009年から島根県海士町にあり、島根県立隠岐島前高校魅力化プロジェクトに参画。全国的に知られたプロジェクトとなる。2015年、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス博士が認めるソーシャル・ビジネス企業に。また総務省の地域人材ネットにも選出。今後、大学の教授に就任予定。

▼株式会社Prima Pinguino
http://pripin.co.jp/