もう、夢だけで終わらせない。日本一の夢の祭典「みんなの夢AWARD9」

2019年2月8日

ファイナリストインタビュー特集 VOL.5:池嶋 亮さん

2019年2月25日に舞浜アンフィシアターで開催される「みんなの夢アワード9」。

500人を超える応募者の中から、3次選考を勝ち抜き見事ファイナリストに選ばれた7名はどんな方たちなのでしょうか。

みんなの夢をかなえる会の事務局では、「なぜその事業を行うのか」、夢の背景にあるファイナリスト達のストーリーを取材しました。

第5回目は日本各地でチャンバラ合戦を開催しているNPO法人ゼロワン関西代表の池嶋亮さんをご紹介します。

 

池嶋 亮

「外遊びを日本の文化にして、日本を世界一面白い国にする」

このままじゃ大阪から楽しいものがなくなる

2015年のTEDxKobeで客席に笑いとスタンディングオベーションを起こすプレゼンを披露した池嶋亮さんは、大阪生まれ大阪育ち。

大学生のときに「このままじゃ大阪が面白くなくなるんじゃないか」と危機感にかられる出来事があった。リーマンショックや様々な行政改革の影響で、大阪のコンサートホールや文化施設が次々となくなっていったのだ。当時、コンサート運営のアルバイトをしていた池嶋さんは、コンサートにやって来るお客さんの顔も暗くなっていると感じた。

 

ところがコンサート終了後、お客さんたちは皆、入場時とは別人のように笑顔になっていたのだ。その様子を見続けているうちに、エンターテインメントは人の生活を豊かにすると実感した。いつしかその想いが、大好きだった「大阪の活性化」に繋がり、大阪をエンターテインメントが溢れ、楽しいものが溢れる世界一面白い街にしたい、と夢に描くようになった。

 

大学を休学してエンタメの本場、ニューヨークへ

大阪を世界一面白い街にするために、まずエンタメで活気がある街で学びたいと思った。だが当時は大学2回生。周囲はサークルなどキャンパスライフを謳歌し、一部は就職のことを考えはじめる頃、自分だけ休学して海外留学に行くことは相当迷った。しかも英語は大の苦手。思い切って行っても自分に何が出来るのか……。いろんなことを悩んで半年が過ぎた。

 

そんな池嶋さんの背中を押したのが、今は亡き大学の友人だった。「将来は一緒に仕事がしたい」と語り合った友人は、心臓の病で突然この世を去った。人はいつ死ぬかわからない。友人が生きたくても生きられない未来を自分はウジウジ悩んで過ごすのかと思ったとき、決意は固まった。

 

ニューヨークでは片っ端からいろんなイベントに参加して主催者に会った。下手くそな英語で作った履歴書を片手に、イベントを手伝わせてほしいと頼んで回った。いつしか現地の企業や大規模フェスを開催する有志団体で企画・運営を手伝わせてもらえるようになっていた。うまくいかず現地の人と一緒になって泣いたこともある。でも何よりエンターテインメントの力を再認識した。約1年後、日本でも動き回って道を切り拓いていこうと帰国した。

 

大阪のモデルシティを探して世界一周の旅へ

NYから帰国後、自身で団体を立ち上げたり、途上国の支援をするNPO団体に所属して「仕事を通じて社会を良くする」ことについて学んだ。そのうち、世界への興味が再び沸いてきた。世界中の人がいるNYでの経験は、どこか自分を「世界を知っている」ような気にさせていた。しかし、自分はまだ世界のことを何も知らない、と今度は世界一周の旅に出ることに。テーマは「大阪の未来のモデルシティを探す」世界中の首都と第二都市を巡り、計20カ国30都市を訪れた。それぞれの街では、とにかく街の人に話しかけ、活気のある街ではその源を探った。そんな旅をして出た結論は「大阪を元気にしたいなら、まず大阪のことを知らなければ。答えは外ではなく内にしかない。」いうことだった。

 

チャンバラ合戦との出会い

ある時、Facebookで「チャンバラ合戦」という、よくわからないイベントを開催しているグループの存在を知った。単純に面白そうだなと感じたが、それ以上に惹きつけられたのがその団体の活動目的が「大阪を世界一面白い街にする」ことだった。自分と同じことを言ってる人に初めて出会った。イベントに参加してみると、職業も出身地も違う多種多様で魅力的なメンバーが、たくさんの人を笑顔にしている光景に出会えた。

 

ちょうどその時、チャンバラ合戦に初めて大規模なイベントでの開催依頼が入ってきていた。創業メンバーにイベント経験者がいなかったことから、何か貢献できるのではないかと参画した。参画後は、現在の道具のプロトタイプを開発したり、新しい企画やルールの考案、またイベントのMCを担当するなど、仲間と共に活動の拡大を楽しんだ。

 

チャンバラ合戦はこれまで、日本全国や海外で開催。地方自治体との地域活性化事業や、企業の運動会として採用されるなど、活動の幅を広げていった。2018年には累計参加者数5万人を突破した。

 

 

裏側を知っているからこそ

2018年9月、池嶋さんは夢アワードにエントリーした。夢アワードを知ったのは数年前。知人が優勝して、その後の活動の広がりを見ていた。元々裏方で表舞台に出ることは好きではなかったが、現状のさらに次のステージに進むためには、活動を強力に発信する必要があることは理解していた。またこれまで「大阪」にフォーカスが当たっていた夢にも変化があった。まだ企画が幼かった頃から、仲間と手塩にかけて育て、どこか我が子のように思っていたチャンバラ合戦が、いつしか親が予想していなかったくらいに成長し、日本全国で楽しまれるイベントになっていた。その想いは「大阪を」から「日本を」に変えた。

 

夢アワードで優勝の自信はまったくないと話すが、「とにかく会場の人を楽しませたい。結果はその後についてくると思う。」という。正直、自分には辛い過去から立ち上がったような強い原体験も、世界を劇的に返る画期的なアイデアもない。でも、仲間との活動を通じて見えたものは、絶対のこれからの社会に必要なもの。日本人が今後さらに豊かになるために絶対に必要なものだと確信している。だからこそ「あいつなんかわからんけど超面白かった」と会場に来ている人の記憶に残せたらいいという。

 

「でも、楽しんでほしいのは観客だけじゃない」と池嶋さん。数々のイベントを運営してきた池嶋さんは、一人の人間がステージに立つまでに、裏でどれだけの人が動いているかを知っている。裏方のスタッフの人達にも、この人のステージを用意して良かったと思われるくらいのプレゼンを披露したい。「普段が裏方の分、勝手にいろんなもの背負って必要以上に緊張してます(笑)」と池嶋さんは笑った。

 

「文化」をつくる

外遊びの業界でフロントランナーとして走り続ける。価値観を発信し続けることで、再び「外遊び」という文化をつくりたいと池嶋さんは語る。文化は目に見えないものなので長らく「文化をつくる」ということがどういうことかわからなかったが、愚直に活動を進めてきて、ようやく文化ってこういうことなんだということが実感値として見え始めた。

 

将来的には、大阪で年に1回の大フェスティバルを開催して、やっぱり大阪という街の活性化に貢献したい。イメージは、スペインのトマト祭り、タイの水かけ祭り、台湾のランタンフェス。これらのイベントは年に1回しかないのに観光ガイドブックの2ページ目に載っていたりする。毎年、桜の時期に1万人のチャンバラ合戦が大阪城である。国内外の人たちが、大阪に行って本場の合戦を体験したいと思う。そのイベントの時期になると周りのホテルの値段が上がる。そんなところまでいけたら、胸を張って「大阪を面白くした」と言えるのではないか。

「こんな話をすると、よく『現実を見なよ』言われるんですけど、僕はめちゃくちゃ現実を見てるつもりなんです。だって現実から目を背けてるやつが夢叶えられるわけないじゃないですか。」

2025年、大阪で55年ぶりに万国博覧会が開催されることが決まった。今後大阪にはかつてない追い風が吹くはずだ。万博が開催される頃にチャンバラは日本の文化になっているだろうか。そして、大阪を代表するイベントに育っているだろうか。インタビュー中もずっと笑顔で楽しそうに、でも本気でそれを実現するんだと熱く語る池嶋さんの話を聞いていると、そんな輝く未来を自然と信じたくなってしまう。彼らの活動にこれからも注目していきたい。

 

(取材:2019年1月 /ライター:教来石沙織)